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 □ 衆院選2012     

第46回衆議院議員総選挙が昨日投開票されました。


私は今回の衆院選に関して、滋賀県の未来政治塾塾生として、嘉田知事が代表を急遽務められることになった「日本未来の党」のどこかの選対本部でお手伝いをさせて戴く意向でした。
そんな中、11月の未来政治塾講義の際に、未来政治塾運営室から、「東大阪市に神谷宗幣が行く。よろしくお願いします」との打診を受け、自民党の支援をさせて戴くことになりましたが、大変悩みました。

拍手[2回]


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当初は、日本未来の党支援を予定しており、公言しておったのですが、塾の運営からの打診ではありますが、自民党の応援となることに大変悩みました。
「川口はブレている」「市議会議員選挙の際は自民党じゃなかったのに」とご意見もありまして大変悩んだのですが、前回市議会議員選挙の際にご支援を戴いたことや、関西大学の先輩でもある神谷宗幣さんを支援する事は、周囲がどうであれ私が決定して実行すれば良いだけ。と考えまして、以降神谷宗幣さんの選対本部をご支援させて戴くことにしました。


最大の理由は、自民党前職が急遽の引退表明をし、しかも引継も一切しないという明らかに正義・仁義を欠いたことを東大阪市で行ったからです。
そして、神谷宗幣さんが東大阪市に来られ、最初の活動日とされていた11月28日に私にお声がけくださったことも大きいです。


これは、自民党東大阪の全力支援があるのならば、あり得ないことでして、自民党員じゃない私に、というのはどないなっとんねん?と。
事実、自民党東大阪は分裂に継ぐ分裂で、市議会の会派構成も分裂を極めた状態です。
ただ、選挙の時に関しては自民党というククリが生きていると思ってました。しかしそれがどうも違うようでして、その辺りを神谷宗幣さんに何とかして頂きたい。そのお手伝いならば喜んでやらせて頂きたいと。


前職の引継も無いので、名簿もすべて維新候補に持っていかれており、地元の引き締めも相当厳しい状態でしたが、神谷スタッフの特に学生部隊が主力になってとても頑張ってくれました。
慣れない東大阪市の複雑な道路を走り回って、ポスター掲示を行い、タイトなスケジュールに遅れないように設営をしなければならない。スマートフォンナビを片手に運転しているという状態。しかも毎日深夜1時2時3時4時。朝は駅立ちで6時7時です。
彼らは学生インターンシップで来ており、殆どが吹田の子ばかり。東大阪市のことは全く知りません。


選対本部スタッフに東大阪市民が殆ど入っていない状態は、東大阪市民としてとても恥ずべきことであると感じました。そもそも私は自民党員でも無ければ落選中の身です。東大阪市民の協力が無ければとてもじゃないが衆院選は戦えない。そんな想いが募りました。


可能な限り時間を切り詰めて、スタッフのクルマに乗り込んで、ナビをして抜け道を教えて、街頭演説の設営をして、桃太郎の先陣を切り、声を張り上げる。
衆院選での学生部隊の仕事、特に自民党の選挙では殆どが裏方仕事ばかりでして、物資運搬や演説会会場設営なんかが多く、それ以外の時間はド暇だったものです。
そんな経験をしてきた中で、学生インターンシップ諸君にはできる限り衆院選の主力として動いて貰いたく、おこがましいですがお手本となれるように頑張らせて戴きました。


ただ、本当に選対指揮を現場でどの程度までとっていいものかと言うことは、悩みました。





 □ 東大阪市独自の問題      

今回は竜馬プロジェクトの若手議員が全国から東大阪市に駆けつけて下さいました。
来られた議員さんたちと交流させて戴けたことはとてもありがたいことでしたね。
余所の市町村でのあり方と東大阪市のあり方の乖離が激しく、実情を知ったら「東大阪市じゃなくて心底良かった」と言われたことが結構堪えましたね。


何もかもがオカシイ状態を許容している。そんな状況を打開しようとしている人間が評価されないことは世の常ではありますが、全滅というのも悲しいものです。







 □ 最終日に感じた、自民党東大阪の再生     

最終日布施の打ち上げで感じたのは、選挙戦を通じて裏切った自民党市会議員や、消極的支援に回った自民党市会議員、積極的に支援に回った自民党市会議員がはっきりと明確化され、自民党東大阪の再生のスタートラインを感じたことです。


自民党東大阪が先ずは一体化して一枚岩にならなければならない。
それができていない中で選挙戦に突入してしまった。
苦戦に継ぐ苦戦で、だけどだんだんと一枚岩になりつつあった。
そして最終日に一枚岩になっていける希望が見えた。ということでして、私個人の感想ではスタートラインに立った感がしたということです。


というか私の希望は、自民党がしっかりと一枚岩になって、正常な議会運営を実現し、「まともに議論できる市議会運営」です。
予算も決められない、延長・流会ばかりの今の市議会ではなく、キチンと予算を決めることができる市議会運営を望んでおります。






 □ 結果     

結果は、神谷宗幣候補58,465票で、維新候補の109,756票に遠く及びませんでした。


塩川正十郎先生の時代から守り続けた自民党の議席を失う結果になりました。
前回衆院選の時でも失わなかった議席が、自民に風が吹いた今回の選挙で失うという皮肉な結果に。
しかもその最大の原因が、出口調査にあらわれています。





を分析しても、公明党票が割れており、無党派層の大半を維新に持っていかれた感が否めないです。
自民党支援者の票も、半分が持っていかれてます。まさに正義・仁義無き結果です。
この結果がオカシイ。特に自民党のところがオカシイと感じて戴ける「市民」の皆様をもっと増やさなければなりません。


自民党が生まれ変わったことのアピールをもっと時間をかけて出来れば、と悔やまれます。
旧態依然の自民党から、新しい自民党に作り直しを実現しなければ、東大阪市の無党派層の票の取り込みは極めて厳しいと実感します。


大阪では府内で3人しか自民党が当選できませんでした。
維新の風は大阪ではとても強かったと実感しますが、何よりも「自民党、変わったな!自民党、昔ながらの胡散臭さが無くなったな!」という実績が薄かったので、維新の風というよりは内部抗争を抱えたままの選挙戦突入が最大の敗因であると考えます。いや、自民党員ではない私が偉そうに言ってしまい申し訳ありませんが。選対本部に入ると本当に色んなことが見えてしまうものです。


神谷宗幣さんは次の選挙戦に向けて東大阪市に居を構えて、しっかりと自民党改革を行なっていく。と力強い約束をしてくださいました。嬉しいです。
そして、私も微力ながらそのお手伝いをさせて戴ける機会を与えて戴けるのであるのならば、それは精一杯させて戴きたいとお伝えしました。


次は、日本を、取り戻す。に加えて、「大阪を、取り戻す」で行きましょう!
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無題
小泉進次郎をはじめ、各地で「風は吹かなかった」と声がある・・・
維新も実態は公明党なわけだ、冷静に分析すれば敗因は見えてくると思います?
渤晦 2012/12/17(Mon) 編集
コメントありがとうございます
風と言うよりは、前回落選してからの3年4ヶ月にじっくりと後援会を整備し、支持層を上積みしていったことが大きいと感じます。

本選挙戦は準備期間1週間で突入した点や、地元自民党の乱れ等マイナスファクターが多くありました。次に向けては、今回のマイナスファクターを1つ1つ潰していって、盤石体制を築くのが大事だと考えます。

維新については、大阪は強くありましたが他ではさっぱりでした。比例上積みが大きかったですが、名簿順位上位者が当選していき、小選挙区惜敗率復活は少ない為、怨嗟の声が早くも渦巻いている状態です。(自費での出馬者が大量に居て落選していったため)

今回のオセロ的政権交代を観ると、安定した政治を展開できる土壌づくりがキモだと実感しますね。いい野菜も土作りからですし。
川口 泰弘 2012/12/17(Mon) 編集
プロフィール
名前:
川口やすひろ
年齢:
40
性別:
男性
誕生日:
1983/05/21
自己紹介:
【連絡先】
事務所電話:05058489605
事務所FAX:02046679016

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