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 ❏ 10月8日 歴史講座     



今日は日下リージョンセンターを訪問しまして、平成25年10月8日の19時からの歴史講座の打ち合わせに同席しました。



拍手[2回]


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テーマは楠公さんでして、特に四條縄手の戦いについて色々と。

四條畷の戦い(しじょうなわてのたたかい)は、南北朝時代の1348年(正平3年/貞和4年)1月5日、河内国北條(大阪府四條畷市・大東市)における、南朝方の楠木正行と足利尊氏の家臣高師直との間の戦い。

また、四條縄手という地名や、味方であった水走氏が東大阪市五条町に館があったことなどから、大阪府東大阪市の四条(縄手)付近で戦いがあったという説もある。

ウィキペディアより


 ・ 南朝方の水走氏が枚岡神社宮司を兼ねていたこと
 ・ 南北朝の整地されていない道を徒歩で足軽が走ってその日のうちに決着?
 ・ 南北朝の東高野街道は川が多く、橋は全ての川にかかっていたのか?
 ・ 南北朝の馬は軍馬改良されたのは少数であり、機動力は低かった


などなど。まさに日下は神武東征の「浪速国の白肩津」。こういった話はみなさんお好きなようで、たいへん弾みました。


桜井自治会やさくらい保育園のように、縄手地区には旧名の桜井があります。
桜井の別れは東大阪市六万寺町(縄手村桜井)だったのではないか?という話や、四条町や縄手という地名の名残が今もあるという話などなど。


手前味噌ではありますが、こういった解釈もまた東大阪市の歴史・文化を語る上でとても大事なことだと思っています。





 ❏ 河内木綿畑へ     


台風でも無事でした


河内木綿についても。
河内木綿のラガーシャツは歴史と文化と現在の融合系だと思っています。


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