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 □ 寺院駕籠      

本日は東大阪市善根寺町にあります、菩提寺様の駕籠を調査させて戴きました。


お寺の住職が乗っていた乗り駕籠とのことで、これまでの嫁入り駕籠とはまた違った部分がたくさんありました。
特に、担ぎ棒が前後2名の計4名で担がれていたものであったこと。
嫁入り駕籠よりも一回り大きいこと。
草履かけが無いことから、草履持ちが居たであろうこと。
などです。


正定寺の権門駕籠を参考にしますと、
権門駕籠(けんもんかご)・・・江戸時代、大名の家臣が主君の用事で他家へ行くとき乗った引き戸駕籠。主君から貸し与えられたもの。

とあるように、菩提寺様の駕籠にも権門駕籠の特徴が見受けられました。



菩提寺様の駕籠。二挺の内、右側を詳細調査しました。



家紋である下り藤


外側の設いが網代編みで、お寺さんが使う編笠と同様のもの。



留め金の細工は唐草か?


各部を留めておく金属にも掘り細工が成されており、その柄は推察するに唐草か?と思うのですが、葡萄唐草と考えるのが妥当でしょう。



精度を凝らした細工


仏教的に解釈すれば、葡萄唐草でしょうかね。
牡丹唐草文や、蓮華唐草文、宝相華唐草文の線もあり得ますが、葡萄唐草が自然でしょう。



内装


先日の嫁入り駕籠では、唐草に鳳凰でしたが、今回のは「菊唐草」でした。
菊唐草・・・きくからくさ【菊唐草】とは。1 ゴマノハグサ科の多年草。山地に生え、茎は地をはう。葉は羽状に深く裂けていて、唐草模様を思わせる。夏、白い小花をつける。近畿・四国に分布。ほろぎく。2 唐草に菊の花をあしらった模様。







 □ 考察     

寺院で使用された駕籠は、主に檀家さんの葬儀に赴く際に使用されたそうです。
それ故に、華美に成らずされど品格と格式を感じとることが出来るようなデザインでした。
善根寺町の歴史は古く、格式高い土地であることからも、規模の大きなエリアであったことが伺えます。


善根寺・・・昔この地に善根寺という寺がありその寺の名が地名になっている。「善根」とは仏教から出た言葉で、安楽な果報を招くべき善因を意味し「善根の積む」という使い方をする。村の起こりは奈良の春日大社が枚岡神社の神(天児屋根神、媛神)を勧請したとき、河内の多くの信奉者が一緒に移住した。後、25名が河内に帰り今の善根寺に住んだ。この25名の人たちは奈良春日大社の造営や屋根の葺き替えに従事する役目を受け継ぎ明治の初めまで続いていた。また、村を開いたとき建てられたのが善根寺の春日神社。



楯津濱・・・善根寺の金比羅燈籠の少し北、善根寺春日神社への登り口に「楯津濱」と刻まれた石碑があります。
「楯津」の由来は神武天皇の東征の時「楯津」と名付けた事によるのだそうです。



しかし東大阪市民でありながら郷土の歴史をあまりにも知らなさ過ぎます。
善根寺町の謂れや由来等も一つ勉強になりました。





 □ オマケ      

楯津濱に紹介のあった石碑の後ろをよく観てみると・・・



八紘一宇の石碑が。


私の部屋の前にも八紘一宇の石碑がありまして、こちらは紀元2601年。
善根寺の八紘一宇の石碑は紀元2600年とありました。
八紘一宇の石碑を観て、更にその奥にあった歴史的意味を感じ取ることが出来ました。

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