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 □ 200年近く前の嫁入り道中      




約200年近く前に実際に嫁入り駕籠に乗って歩いたであろう道中を、現代に歩いてみるということで、同行してまいりました。

拍手[2回]


+ + + + + + + + + +

歩いた経路


詳細TruckはGoogleに保存してあるデータをご参照下さい。



総距離: 6.11km(3.8マイル)
合計時間: 2:25:32
移動時間: 2:11:51
平均速度: 2.52km/時(1.6マイル/時)
平均移動速度: 2.78km/時(1.7マイル/時)
最高速度: 5.40km/時(3.4マイル/時)
平均ペース: 23.81分/km(38.3分/マイル)
平均移動ペース: 21.57分/km(34.7分/マイル)
最速ペース: 11.11分/km(17.9分/マイル)
最大標高: 96m(315フィート)
最小標高: 31m(100フィート)
標高の上昇: 163m(533フィート)
最大傾斜: 3 %
最小傾斜: -12 %
記録: 2013/03/12 8:33



総距離については、6.11kmからイトーヨーカドーやその他での重複距離を考慮すると、5.8km程度であると考えます。


保存端末:docomo Galaxy Note(初代)
仕様ソフト:my tracks(改)
GPS環境:Galaxy Note GPS(改)
位置精査:IIJmio回線による





 □ 経路考察          

石切旧街道~旧東高野街道~宝蔵新家~旧暗越なら街道~松原宿~旧暗越なら街道~旧おかげ通り~旧暗越なら街道~菱屋東 のルートでした。



旧東高野街道に入って


石切旧街道~旧東高野街道については、一切の道標となる石碑が無くなっておりまして、実際はどうであったのかはもはや知るすべがありませんでした。
ところどころにあるお地蔵さん(道祖神か?)が頼りであり、推定するにそうだろうという感じで歩いてました。


ついでに中石切自治会エリアの町並みを拝見させて戴きました。
街灯が少しおしゃれなものであったり、犬のフンの看板を広範囲に配布、掲示されておられたりと、街の景観美化に積極的に取り組まれている様子。石切神社も大きいかと思いました。



新石切駅ガード東にて


左手が人気のスイーツ店
本道を直進していきます。
ここから道幅が広くなっているので、後に作られたことが分かります。



宝蔵新家


既に地名としては残っていませんが、太鼓台で残っている模様
ここから旧暗越なら街道に接続していきます。



宝蔵新家にある東大阪市の掲示


掲示が平成22年。
出来うるのであれば、道標となる石碑を残しておいて欲しかったです。



宝町エリアにてLED防犯灯を発見


意識の高い自治会エリアが続きます。
LED防犯灯を積極的に導入していっているのが伺えます。



普段は気付かなかった歩道橋


場所的にはココになるのですが。
頻繁に通っている外環状線の歩道橋。見落としてましたが、そう言われればと思い出すものです。



松原にてようやく最初の道標となる石碑に


本当にようやくですよ。
今の時代に道標なんて必要ないものではありますが、なんとも寂しい感もあります。
「右 大阪道」とあります。




何故か2コある松原宿の掲示


政治的な臭いがプンプンしますが、それはそれとして。
松原宿は有名ですね。暗越の前後は必須であったと聞き及んでいます。



菱江おかげ燈籠


お伊勢さんも絡んできますね。
菱江についても旧村で旧街道沿いで昔はとても賑わっていたと聞き及んでいます。


菱江からはロイヤルホスト裏通りを八劔神社経由で、菱屋東のおなじみの石碑まで行きまして、そこがゴールでした。





 □ 昔の嫁入り道中を歩いて     

いくら健脚であったとはいえ、今のように整備もされていない街道であり、嫁入り駕籠を担ぎながらの道中であったことも考え、夕方到着であったことも考慮して、


大体10時頃に出発?→松原宿が13時頃か?→菱江入りが16時?→ゴールが17~18時であったのではないかと推察されます。


嫁入り行列も考えると、道中については推定で本ルートであったのではないかと思います。
若干の誤差や、途中の立ち寄り場所が特定出来ませんが(旧街道をメインに通り過ぎている?)河内名所図会を見ても、確からしいルートでしょう。


実際に歩いて感じたのは、そんな昔を思い出すものが掲示だけで、道標も2コしか無い状態だったのは少し残念だったということです。
今里のまちづくりの中で、暗越街道に関する事業結果は素晴らしく、掲示も情報量満載であり、道標も多く残しており、まちづくり=街の歴史や生い立ちを結びつけるものでした。
東大阪市においても、暗越の前後の場所であり、松原宿があった場所であり、東高野街道との接続エリアでもあり、決して歴史的になにもない地域では無いのですが、取り組む姿勢の違いとはココまで差がつくものなのか!と残念でした。


歴史文化はこうやって受け継がれていく、という見本を示した今里エリアと、歴史文化はこうやって失われていくんだよという見本を示している東大阪エリアとの差は、これから未来に如実に現れてくると思います。そこが残念でなりませんでした。
歴史文化を捨て去るのであれば、中途半端に捨て去るのではなく、きっぱりさっぱりと捨て去るべきです。何事も中途半端に残したりするから、どっちつかずでイカンです。過去の歴史文化を遺すつもりが無いのなら、スパっと消し去って、まちづくりが出来なかったものか。


そんなことを考えつつ、各自治会の取組を拝見しつつ、GPS信号を失わないように注視しつつ、歩き通しました。


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