❏ 今日の夕日は1年に2回しか見れない特別なもの
お彼岸の夕日。
日想観
西に沈む太陽を見て,その丸い形を心に留める修行法。極楽浄土を見る修行の一部で,観無量寿経に記される。日想。
【四天王寺】より
…出雲聖人の主導した百万遍念仏は,貴賤をとわず,道俗男女が一定期間参詣して念仏し,鳥羽法皇や藤原忠実・頼長らも参加した。西門外の海は極楽への道として,夕日に浄土の想いをはせる日想観(につそうかん)を修し,入水往生を遂げる聖や尼が少なくなかった。《梁塵秘抄》に往生の聖地としてうたわれ,往生伝や《今昔物語集》などの説話に,往生を願う人びとや四天王寺での往生が記される。…
【彼岸】より
…しかし《宇津保物語》《源氏物語》などに彼岸の語がみえるので,平安中期には彼岸や彼岸の仏事が定着していたことがわかる。浄土教が興隆してからは,彼岸の仏事に日想観や念仏など浄土教的なものが顕著になった。四天王寺の西門が極楽の東門に向きあっているとの信仰があり,平安末期以降,彼岸に四天王寺西門の落日を観ずる風習が盛んであったが,浄土教信者にさらに影響を与えたのは唐の善導の《観経疏》第三であった。…
三善為康が著した「拾遺往生伝」によれば、荒廃した六萬寺の後に河内往生院が念仏聖である安助上人により平安時代中期に創建された。この地は、「四天王寺の東門から真東にあり、極楽浄土の東門に当院が当たる」ということから、極楽往生を達するにふさわしい場所であると考えられていた。
さらに夕日を見て、極楽往生を願う、「日想観」を修する場所として多くの僧侶・信者がこの地を訪れて栄え、修行僧が絶えなかった。往生院から見る彼岸の太陽は、四天王寺へとまっすぐに向かって落ちてゆく。この夕日を見るとなんともいえない安らかな気持ちになるのは、今も昔の人も変わらないのであろう・・・
そんな訳で、上記写真の夕日は四天王寺に真西に落ちていきます。
六万寺町の地名由来が、四天王寺付近の六万体から来ているように、実は東大阪市と四天王寺は結構重要な関係があったりします。
1年にこの夕日が見られるのは、春と秋の2回のみ。
太古は波の反射がきらめいて、さぞや荘厳(しょうごん)なことだったでしょう。
日想観も、荘厳思想から来ているものだろうなぁと思いながら、今日の特別な夕日に合掌。
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