昨日に引き続きまして、産経エクスプレス紙24面の『親と子の日本史』というコラムのおはなし。
どうも皆さんこんばんわ。川口やすひろです。
今日のコラム内容は『利害損得では動かない』として湊川の戦いに関してでした。
既に足利尊氏は九州から数万の大軍を率いていまにも京へと攻め上がらんとしていた1336年7月のことです。
この戦いには色々なキャプションが付け加えられたりしておりまして、例えば正成が後醍醐天皇に京都から離れて一旦比叡山に御動座(天皇が京都から離れること)を進言しましたが、一年に二度も動座を行うことはあってはならないとして、負けると分かっていながらも戦に赴かねばならなかった・・・などのエピソードがあります。
ただ、今日のコラムではその部分よりも、『負けると分かっていても後醍醐天皇に忠義を尽くして奉国の為に戦った』『一族のTOPとして自分が戦死した後にもめないように正行に後を託した』と言った部分が取り上げられておりました。
すなわち、滅私奉公です。(ニュアンスは違いますが)
その利害、損得では動かないことを正行は十分に理解していたのでしょう。
最後まで南朝方(宮方:後醍醐天皇側)に属し、1348年の四條畷の戦いへと向かって行ったのです。
私も、かのように利害、損得では動かない姿勢を貫いて行きたいと考えております。
どうも皆さんこんばんわ。川口やすひろです。
今日のコラム内容は『利害損得では動かない』として湊川の戦いに関してでした。
既に足利尊氏は九州から数万の大軍を率いていまにも京へと攻め上がらんとしていた1336年7月のことです。
この戦いには色々なキャプションが付け加えられたりしておりまして、例えば正成が後醍醐天皇に京都から離れて一旦比叡山に御動座(天皇が京都から離れること)を進言しましたが、一年に二度も動座を行うことはあってはならないとして、負けると分かっていながらも戦に赴かねばならなかった・・・などのエピソードがあります。
ただ、今日のコラムではその部分よりも、『負けると分かっていても後醍醐天皇に忠義を尽くして奉国の為に戦った』『一族のTOPとして自分が戦死した後にもめないように正行に後を託した』と言った部分が取り上げられておりました。
すなわち、滅私奉公です。(ニュアンスは違いますが)
その利害、損得では動かないことを正行は十分に理解していたのでしょう。
最後まで南朝方(宮方:後醍醐天皇側)に属し、1348年の四條畷の戦いへと向かって行ったのです。
私も、かのように利害、損得では動かない姿勢を貫いて行きたいと考えております。
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プロフィール
名前:
川口やすひろ
年齢:
40
HP:
性別:
男性
誕生日:
1983/05/21
自己紹介:
【連絡先】
事務所電話:05058489605
事務所FAX:02046679016
Facebookで日々の出来事つぶやき中!
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