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東大阪新風会代表:川口やすひろの東北支援ボランティア報告記事はこちらです。




【告知】
  ダウンロード(pdf)
第二回スマートフォン教室を開催致します!!
第一回同様に、瓢箪山地域まちづくり協議会様のキューたんステーションにて行います。
2011年8月20日(土) AM10:00~正午です。参加費無料!!
スマートフォンを現在使っている方、積極的に購入を検討しておられる方を対象に、第二回はスマートフォンにできることやスマートフォンの種類について講習させていただきます。


【告知】
7月31日から私も所属しております、鳩まめ倶楽部様にて『東大阪市民のねがい』の特番が始まりました!
東大阪の日常生活で、あなた自身が体験し、「なんでやろ?」と思われたことをドシドシお寄せ下さい。今秋の東大阪市議会選・市長選のW選挙の予定候補者に回答して戴きます。勿論、私も真正面から回答させて戴きます。私のルールとして、『予算が無いから』をNGワードに据え置き、『代替案:alternative』を提案して投げかけさせて戴きます。
是非、市民の皆様のご意見をお寄せ下さい!!


本日は、明治時代の東大阪の偉大なお医者様のお話です。
どうも皆さんこんばんわ。川口やすひろです。


かの司馬遼太郎氏もその著書『洪庵のたいまつ』にて「彼の偉大さは、自分の火を弟子達一人一人に移し続けたことである。弟子たちのたいまつの火は、のちにそれぞれの分野であかあかと輝いた。やがては火の群れが、日本の近代を照らす大きな明かりになったのである。後世の私たちは洪庵に感謝しなければならない。」と記していましたが、東大阪に、その弟子の芦田楳三氏がおられ、河内15村の種痘医として、日夜駈けずり廻った馬のくつわや、かごが、今の芦田邸に残されています。


その芦田様のご自宅にお伺いしまして、当時の医療の在り方の教訓を記した『醫称仁術之記(医者としての心構えを記したものであると思われる)』の修復が終わったとのことを受けまして、拝見させていただきました。
芦田楳三氏は、緒方洪庵の弟子として種痘を学び、河内にてその種痘を広め、人のために尽くしたお医者さんです。
 「医の世に生活するは人の為のみ、唯(ただ)おのれをすてゝ人を救はんことを希(ねが)ふべし」は緒方洪庵の名言でありますが、私も政治家としての精神にこの教えを取り入れております。
私の掲げている、『地域の為、国の為』も緒方洪庵の「為道為人(道のため人のため)」「為国為道(国のため道のため)」から来ています。


その教えを天保九年(1838年(大塩平八郎の乱の翌年))に、緒方洪庵の弟子のうちの一人であろう人物が記載したものと思われます。



芦田邸に残された、『醫称仁術之記』


冒頭の一文が、緒方洪庵の教えと極めて似ていることから間違いないと思います。
また、当時の版を刷った薬袋もありました。



『河内中小坂』とあります。小阪ではなく、小坂の時代。





目薬や痛み止めなど。


こういった薬の袋には『芦田製』と書いてあります。
東大阪市内にお住まいの皆様の3代か4代前の先祖様もこの薬で助かったのでしょう。



種痘醫 芦田楳三 若江郡:彌刀村・小坂村・高井田村 とあります。


若江は歴史が古く、河内一帯は若江郡だったのですね。
そして、『若江郡に加えて彌刀村と小坂村と高井田村にて種痘医療して下さい』と読み取れます。
明治32年(1899年:NECが設立され、池田勇人や川端康成が生まれた年)のことでした。



こちらは明治18年 芦田楳三 若江郡 とあります


先ほどの彌刀村・小坂村・高井田村が明治32年なので、こちらはそれよりも14年前の免許のようです。
明治18年(1885年:伊藤博文が初代内閣総理大臣に就任し、武者小路実篤が生まれた年)のことです。
ここから14年の実績を経て、彌刀村・小坂村・高井田村にも広まっていったのが解ります。


  
明治16年に免許を受けておられます。


時系列的には逆に成りましたが、芦田楳三氏が53歳の時に55番目の種痘免許を取得されたことが解ります。
明治16年(1883年:鹿鳴館が開館し、鳩山一郎や北大路魯山人が生まれた年)のこと。
芦田楳三氏は、1830年(文政13年)に生まれたと推測出来ます。
緒方洪庵が文化7年7月14日(1810年8月13日) - 文久3年6月10日(1863年7月25日)なので、幕末~明治に掛けて活動されたのです。


そんな偉大なお医者様がこの東大阪に居らっしゃった、ということを改めて実感したと共に、緒方洪庵の弟子として東大阪の発展に尽力されたその在り方に、ますます私も身の引き締まる思いを受けました。

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1983/05/21
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