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 □ 春日大社禰宜さんとの話の中で     


観光資源有効活用策や、文化遺産と観光資産と行政とのギャップや、神道に関するアレコレなどを話していた中で、東大阪市枚岡神社の氏子青年会会員であるという話になって行きまして。


「元春日」について話題が移りました。

拍手[2回]


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春日大社は、今からおよそ1300年前、奈良に都ができた頃、日本の国の繁栄と国民の幸せを願って、遠く鹿島神宮から武甕槌命(タケミカヅチノミコト)様を神山御蓋山(ミカサヤマ)山頂浮雲峰(ウキグモノミネ)にお迎えした。やがて天平の文化華やかなる神護景雲2年(768年)11月9日、称徳天皇の勅命により左大臣藤原永手によって、中腹となる今の地に壮麗な社殿を造営して香取神宮から経津主命様、また枚岡神社から天児屋根命様・比売神様の尊い神々様をお招きし、あわせてお祀り申しあげたのが当社の始まりです。



春日大社 ご由緒より



神護景雲2年(768年)、奈良の春日大社に祭神二柱を分祀し、元春日社とされる。宝亀9年(778年)には春日大社から武甕槌命と斎主命の二神の分霊を奉斎した。『延喜式神名帳』では名神大社に列し、中世には河内国一宮とされた。



元春日



護景雲(じんごけいうん)2年(768年)に、天児屋根命・比売御神の二神が春日山本宮の峰に影向せられ、春日神社に祀られました。このことから当社が「元春日(もとかすが)」とよばれる由縁であります。



枚岡神社 ご由緒より



と、春日大社は枚岡神社がルーツであるという話。



春日大社(かすがたいしゃ)は、奈良県奈良市にある神社。旧称は春日神社。式内社(名神大社)、二十二社(上七社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。神紋は「下がり藤」。

全国に約1000社ある春日神社の総本社である。武甕槌命が白鹿に乗ってきたとされることから、鹿を神使とする。ユネスコの世界遺産に「古都奈良の文化財」の1つとして登録されている。



ウィキペディアより



春日大社は世界遺産であり、今やもの凄いことになっています。
歴史を見れば、枚岡神社が本家で、春日大社は分家的な解釈でしょうか。
だから、枚岡神社はスゴイ!というお話に。



これらの事を、地域教育で教えないのは勿体ないと思います。
遠足とかで奈良公園に行く前に、枚岡神社と春日大社との関係などを教えて、先に枚岡神社に行ってから春日大社に行くとか、そういう地域郷土愛を育める教育が無いのは大きな損失でしょう。
私も小学生の時にそういうことをもっと詳細に教えてもらって居ればと、30歳になって思うところです。
たまたま生まれが往生院六萬寺であり、枚岡神社と往生院六萬寺は楠木正行 正平4年(1349年) 1月2日 太刀・物具献納とありますように小楠公さんの繋がりで学ぶ機会がありました。そうでなければ石切神社の方がスゴイんじゃない?急行止まるし!とか思っていたことでしょう。といいますか、今でも私と同世代はそういう認識を持つ人の方が多いような気がします。農協時代に初詣は石切神社でしたし。



そんな訳で、枚岡神社はスゴイ神社なんだ!という認識をもっと広めていかなければ!と春日大社の禰宜さんと話になりました。





 □ 認識を広めていかなければ     


先ずは学校教育だと思います。
先述の通り、奈良公園(春日大社)に遠足に行く前に枚岡神社と春日大社の関係を学ぶ機会が必要だと思います。ハイキングコースのチェックポイントじゃないんだぞと。
街歩きに関しても、枚岡神社メイン推しが大事だと思います。ルーツをしって参拝するのとそうでないのとでは偉い違いですので。



次に、まちづくりの中に枚岡神社を組み込んで論じなければならんと思います。
奈良の都市計画は、文化遺産ありきでまちづくりが行われて来ました。結果、道路整備等は古都文化遺産を優先的に実施されておりまして、観光都市としてのまちづくりが前面に出されています。
東大阪市の都市計画は、モノづくりやラグビーメインとしての認識がありますが、三重県四日市市のような工業都市化なのか北摂エリアのようなベッドタウン化なのか奈良のような観光重視なのかよく分からん都市計画でした。どっちつかずのまま100年間都市づくりを無計画で進めてきた結果が今の東大阪市になったと思います。



もう建ってしまったので言いようが無いですが、この時代に先見性を持って都市づくりをした為政者が居なかったのは極めて不幸なことであったと思います。
春日大社の禰宜さん達で「本家」枚岡神社に観光バスで一度行ったことがある話がありました。
近鉄高架があるので、途中でマイクロバスに乗り換えて行ったことについてなんと東大阪は観光を軽視しているのかと思われたそうです。



今できることは、街のカタチをいじれないのでまちに住む人達の意識や認識を枚岡神社に向けてもらうことだと思います。
西大寺の例があるように、今更近鉄高架をどうにかすることも出来ないので、地域の住民の意識を枚岡神社にもっと向いてもらえるような施策が必要かと考えます。
そのための地域教育じゃないかなと。住みよいまちなら東大阪市に拘る必要は無いというのが正直な考えで、北摂エリアの方が公園整備や交通整備含めて数十倍住みよいまちではないかと思うところ。
住み続けている理由に「ずっと住んでいるから」が大半でしたが、明確な意思を持ってこれこれこうだから東大阪市に住んでいる!これからも住み続けたいと思っている!と仰って戴けるまちづくりが必要でしょう。






 □ つまり枚岡神社最高!      


春日大社の禰宜さんや職員さんとお話してきた中で、これまでそうあり続けて来た歴史や文化は一朝一夕では変えることが出来ない。という点に及びました。
単純に言えば、奈良の鹿を枚岡神社に持ってきて鹿の居る神社にすることは不可能に近いということです。



変えることが出来ないから、春日大社の旧来の施設を観光産業重視にシフト出来ないもどかしさもありますし、逆に東大阪市が観光産業イチオシにシフトしづらい部分もあると思います。
こればかりは時間とお金をじっくりと掛けてやっていかなければならんことでしょう。
ただ、今までの歴史や文化を改めて見直し、学ぶことは出来ると思います。



今できることを積み重ねる。そういう意味で、枚岡神社のことをもっと広く知ってもらい、東大阪市に住み続けたいと思える理由となって行く、東大阪市の魅力としてもっと枚岡神社に来てもらう、こういった施策が必要であると思います。



印象的であったのは、春日大社はどんなに発展してもの凄いことになろうが、枚岡神社を超えることは出来ない。それが積み重ねてきた歴史を一朝一夕で変えることが出来ない以上のことである。という主旨の話でした。



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